ゾマホンの国

パリに来てまだ一か月経とうとしているところだけれど、なんとか顔見知り程度の知り合いもできた。様々な国から留学生が来ているので、お互いに授業のわからなかったところを教え合ったり、授業スケジュールの確認をしたりする。こうした助け合いがないととんでもないミスをしそうだから。

 

その中でベナンという国から来た人がいる。彼は授業中も積極的だし、フランス語もうまい。しかしベナンについて僕は全く知識がなかったので、彼に国のことを聞いてみると、「ゾマホンって知ってるかい?彼の故郷だよ。日本人はみんな彼のことが好きなんだ」と言った。ゾマホン。かなり久しぶりにその名を聞いた気がする。たしかタケシ軍団の、いわゆる「おもしろ外国人」だったよなと思い出す。

彼は続ける。「彼は大使で、ベナンの国際化に貢献したんだ」。あとで調べてわかったのだが、ゾマホンは中国、日本と留学し、上智大学修士号取得、博士課程単位取得退学、という経歴をもつ結構すごいひと、だったのだ。

 

考えてみれば「おもしろ外国人」ってブラックユーモアみたいなところがある。そもそも日本に来て日本語を話しているだけでもかなり優秀な人材のはずなのだ。

大学の授業のなかで、まったく異文化的なものの代表例として「日本」が挙げられることが多い。考えてみればそれはそうで、世界に類をみないほど難解な書記法(にもかかわらず識字率はほぼ100%であること)、労働時間の異常な長さ(これは偏見かもしれないが)、変わった趣味嗜好・文化の数々。これらが現代において、先進国として世界進出を続けているのだから、確かにオリエンタリズム的な視線を向けられてもおかしくない、と思う。

かつての「ゾマホン」という笑いは、その日本へ留学して、しかも言語を話すことができる人をテレビで笑うという、ある種かなり閉鎖的な笑いだったのかもしれない。もしかしたらかの友人は彼をベナンの誇りと思っているかもしれない。日本での職業は何かわからないんだけど、と言っていたが、コメディアンだよと言わなくてよかったのかもしれない。それは彼の名誉のために、ではなく、日本文化のかっこ悪さのためにである。

(結果的にはそれでゾマホン氏は日本で愛される人となったわけだけれど)

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路上駐車

パリはメトロが縦横に走っているため、どこへ行くにも電車で事足りるのだが、それでも車道の交通量はとても多い。大きな交差点で、信号が変わるときなんて、左折待ちだった車両がたくさんぐいっと入って来るためにクラクションの応酬、という光景は日常茶飯事である。(左ハンドル、右側通行なので、こちらの左折は日本の右折の感じだ)。

 

車が多いとなると問題なのが、駐車場だ。正規の駐車場もあるにはあるのだが、路地などに路上駐車する人がとても多い。それもそのはず、駐車に対する罰金がたったの17ユーロ(2500円くらい)だからなのだ。わざわざ月ぎめの駐車場を借りるよりは罰金を我慢してでも違法駐車、となる気持ちはわからないでもない。

パリは景観保護のために、市内で新しい建物の建造を制限したりしているのに、こうした自動車事情はさっぱり改善する気配を見せない。

 

なんとなく、ジュリー・デルピー監督主演の「パリ、恋人たちの2日間」という映画を思い出す。その中でデルピーの、モラルのかけらもない父親が、路上駐車している車に鍵で「ギギギギギ……」と傷をつけて回るシーンがあった。このくそ親父、と笑いながら見ていたが、そうしたくなるのもわかるくらい街中は車ばかりなのだ。

そういういやがらせをされないためにか、もともとは高級車であったはずの車が、ほこりまみれだったりヘコミだらけだったりして、持ち主はそれを直そうともしない。日本で路上駐車している車がピカピカなのは、むしろ驚くべきことなのかもしれない。

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クスクス

クスクスCouscousという食材がある。

簡単に言うと細かい粒状のパスタである。北アフリカなどで食されているという。北アフリカに領土のあったフランスでも完全に定着しており、一般的な食材である。

作り方は簡単で、適量のお湯でゆでるだけ。クスクスは思ったより膨らむので、お湯とクスクスはだいたい1:1くらいが目安だ。

 

ごはんが恋しくなったり、パンを買い忘れたりしたときに、簡単に作れるクスクスはとても便利なのだが、今まではなんとなく一味足りないというか、好んで食べたいとは思っていなかった。

昨日、スーパーでオリーブオイルを買った。今までは共用スペースにあったサラダオイルを使っていたのだけれど、ちょっと気になって買ってみたのだ。夕飯は久しぶりにクスクスにしようと考えた。

実は僕はレシピを見たことがなく、友達の言う通りに作っていたのだが、その日初めてパッケージを読んでみた。すると、「仕上げにオリーブオイルを入れること」と書いてあったのだ。

炊き上がったご飯的なものに油をかける、なんて僕の発想にはなかったので半信半疑である。ほくほくのクスクスにとろっとオリーブオイルをかけ、混ぜ合わせてみる。あたりに豊かなオリーブオイルの香りが広がり、クスクスもつやっぽさを増している。

 

料理なんて今までほとんどすることがなかったので、こうしてひとつひとつの出来事と出会っていくのが楽しいと思えるようになってきた。毎日玉ねぎを刻んでいると、なんとなく手つきがそれっぽくなるし、パスタひとつ茹でるにしても手際が良くなる。使える食材も増え、レパートリーも増える。

得意分野ばかりにこだわっていては、こういう楽しみに出会えないのだろうな、と思う。

 

さて、例のクスクス、食べてみて驚いた。オリーブオイルと調和してとてもうまいのだ。油なんて何を使っても(ごま油は別だけど)同じだろうと思っていた自分が恥ずかしい。

これからどんどん使ってみよう。

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ボン・マルシェ

7区、セーヴル・バビロン駅から降りてすぐ、有名ブティックが軒を並べる大通りに、ひときわ清潔でモダンなデパートがある。

それがボン・マルシェ Le Bon Marchéである。直訳すれば「いい市場」。そう名乗るだけあって、ここは良質な商品を所狭しと取り揃えた、いわゆる高級デパートだ。1852年創立以来、このセーヌ川左岸の一等地でその地位を守ってきたのは、高級なものだけではなく、ちょっとちゃんとした日用品や食料品などもラインナップ豊富だからだ。

 

今日は大学が終わって帰り道に、休憩がてらボン・マルシェを訪れた。紅茶とお菓子を買う。陳列棚の中では相当安いものをひとつずつ。写真の左側がドラジェ dragéeと言って、砂糖で外側をコーティングしたアーモンド形のお菓子だ。本来は結婚祝いにプレゼントしたりするのだけれど、僕は最初に食べた時から気に入っていて、久しぶりに食べてみることにしたのだった。

味は、こう言っちゃなんだけれども、ほとんどマーブルチョコである。

 

フランスに来ることに決めてから、何人かの友人の結婚報告を聞いた。大切な友人の結婚式だから、ぜひ出たかったのだが、 仕方がなく断念したことを思い出す。

 みんなお幸せに、と思いながら祝い菓子をかわりに食べる。

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Sweet Dreams

Norah JonesのSweet Dreamsという曲を聴いている。

もともと古いカントリーの曲なので、構成も歌詞もとてもシンプルで、いつまでも耳に残る。

歌詞は、こんな感じだ。

 

「毎晩夢を夢をみてしまう きみの甘い夢を

どうして忘れてしまって 新しい暮らしができないのだろう

きみは愛してない それは本当なのに

 

この先指輪をもらうことはないし 一晩中きみを憎んでいればいい

きみの甘い夢をみるかわりに」

 

恋愛に失敗した人が、ぐずぐずと前の恋人の夢をみているというだけの歌詞だ。

でもいくら強がってみても、リフレインの最後の「Instead of having sweet dreams about you(きみの甘い夢をみるかわりに)」という言葉に、わざわざ「sweet」という形容詞を付けたりするあたり、まだまだ忘れることができないのだろう。

戻ってきてほしい、という素直な歌よりもずっと胸を打つと思うのだけれどどうでしょう。

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民主主義

フランスは民主主義の国だ。

民主主義とは、みたいな議論がしたいわけではなくて、おそらく習慣的に、フランスは民主主義的な意識が高い。

何ごとも基本的には選挙で決めるし(しかし、そうやって決めないからこそ今いろいろと問題も出てきているのだが)、学生であっても一応みんな政治を議論することができるようだ。

 

先日、大学から妙なメールが送られてきた。なんだろう、と思って読み進めていると、なんと「大学のロゴを決めますので、投票してください」という内容だった。

日本だと、たいていは大学のロゴなんてずっと前から決まっているし、ましてそれを学生の投票が左右するなんて、ほとんど想像できない。どこぞのオリンピックだって、こうやって決めれば問題も出なかったのでは、と思わざるを得ない。

ちなみに、サイトでは二つ候補が挙げられていたが、ロゴはどちらもポップだった。「大学の進化の一環として」、「歴史」「誇り」「価値向上」「社会参加」をテーマにしたロゴを用意した、とのことだ。

 

もちろんこの二つに絞られるまでに数々の目論見や算段があったのであろうし、そのプロセスは有権者たちに隠されている。民主主義と言えど、投票がすべてというわけではない。大学にしてみれば、どちらに決まっても損はない、ということなのだろう

でも何もかもが勝手に決まっていくというよりは断然いい、と思う。

面白いので一票を投じてみる。

結果はどうだろう。

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武将ひげ

フランスはひげに寛容である。

道ですれ違う、スーツを着た人がひげを生やしているということがよくある。

女性にはわからないと思うが、体毛の薄くない男性ならば、日本では、みんな毎日ひげを剃るというしゃらくせえ真似をしなければならない。僕だって、あまり毛深い方ではないと思うがひげはある程度剃ったり整えたりしている(毛蟹ほど毛深くはない)。

それと違って、フランスでは無精ひげの人がたくさんいる。特に僕が通っている哲学科には多い気がする。体感で言えば、男性の7割がひげを蓄えている。ひげ天国である。そしてそれはとても似つかわしい。どうして西洋人がひげを生やすとあそこまで、と思うほど似合っているし、貫禄がある。

 

思えば、日本の時代劇にひげを生やした人はあまり出てこない。上座に立膝の、えらそうな武将くらいなものだ。貧相な庶民に似合うわけがない。

それに比べてひげの生えたフランス人の見事なことよ。それはまるでギリシャ時代の哲学者のようである。プラトンやアリストテレスもかくやといった顔立ち。

 

「ひげは哲学者を作らない」ということわざもあるが、やはり哲学者らしいひげというのはあるものだ、と毎日しげしげとひげを眺める日々だ。

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雨を聞く

仕事場がほかに見つからないものだから、自室にこもって作業している。けれど、この部屋とて完全に一人になれるというわけではない。femme de ménageという職業の人たちがいるからだ。

 

この語、直訳すれば「お掃除おばさん」にあたるもので、もちろん昨今では「おじさん」や、それどころか「お兄さん」もまれにいるのだが、やはり習慣的に女性が多く、ほかにこれといって定着した呼び方がないので便宜的にこう呼ばれている。掃除以外のこともしていたみたいだから、「家政婦」と訳したほうが適切なのかもしれない。このfemme de  ménageのみなさんの、お掃除なさる音が時折耳につくのだ。あるいは昨日書いたような生活音がとくに気になるときもある。

 

そうしたとき、僕は「雨を聞く」ことにしている。たとえばYOUTUBEで作業用BGMとか、環境音とか、そういうキーワードを引けば大体勝手がわかるはずだ。イヤホンからある程度の音量でこの「雨」を聞けば、あら不思議、目の前の作業に集中できるという寸法だ。

ただし勘違いもある。ある時、雨が降ってきたので仕方なく買い物もあきらめ、自室にこもって書き物をしていた。「雨」を聞きながら。だがいつの間にか、本当の雨がどうなったかということを忘れてしまっていた。近くのスーパーマーケットへ行くのも面倒くさいなぁ、とか、ジョギングはやめとこうか、と考えながら夜になった。ただし今の部屋には冷蔵庫がないものだから、一日だけでも外出できなければ、相当な食糧難に陥るのである。ジュースもない、肉もない、チーズもない。小規模な吉幾三の世界である。不便極まりない。

 

しかし、イヤホンを外してみれば、雨はとうに止んでいて青空が広がっている。時間はスーパーが閉まるまであと15分。フランスに、コンビニなんてものはない。部屋着に無精ひげのまま、階段を駆け下りてゆく。

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ひとりごと

更新二日目にして二回目。

一月ほどはちょくちょく書いてみようと思うが、その先はわからない。ブログなんてただのひとりごとだから、こぼれ落ちてくる程度でちょうどいいのだ。

 

ひとりごとと言えば、隣の住人がたまにひとりごとを言っている。聞き耳を立てているわけではない。「まじかよお」とか「そんなわけないだろお」とか、それはそれは人間的な調子なので、思わずにやにやしてしまう。

 

逆側の隣人も奇妙な音を立てる。小気味いいリズムである。コンッコンッコン、スッコンコン。すこしハネたシンコペーションみたいに。

 

けだし、一般的に集合住宅において、住人同士は顔を合わせることがあまりないので、やり取りするのはこうした音だけである。だからこそ騒音によって住民トラブルが生まれたりするわけだ。けれども、隣人のたてる音は、囚人たちの密談のようにも思える。宛先のないモールス信号だ。

いつ出されるともわからない独房の中で、囚人たちは自分たちにしかわからない暗号で会話をする。会話といっても内容はあってないようなもので、自分の生い立ちや、その日の夕飯のまずさや、看守のうわさ話だ。ときどき、ここから出られたあとの話もしてしまうのだろう。気分は「ショーシャンクの空に」だ。

 

さて、さっきからまた隣人が軽快にシンコペーションを刻んでいる。

コンッコンッコン、スッコンコン。

繰り返されるリズム。

そして僕は、ふと音楽のことを思い出してしまう。

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緑茶

パリへ来てもうじき三週間が経とうとしている。

 

最初は事務的なことに追われて気持にもゆとりがなかったのだけれど、だんだんと落ち着いてきた。

飲食に関しても、予想していたよりはるかにすんなりと、ここのものが体になじんできたと思う。

ワイン、日本ではあまり自分から飲みはしなかったけれど、こちらではほかの選択肢がないから否応なしに飲む。すると不思議なことに、ほとんど抵抗なく体にしみわたっていくような感覚をおぼえる。一週間ほどで体中の細胞は入れ替わっている、とどこかで聞いたことがあるが、もう自分の体はすっかり前のものとは変わってしまったのかもしれないとふと考えている。

本質的なもの(そんなものがもしあるとしたら)は何一つ変化していないつもりでも、街角で日本のものや日本人を見かけて奇異な印象を持っている自分がいることに気づく。

 

先日、Opéraの「日本人街」で買い物をした。外は石造りの堅牢な建物ばかり。なのに、中に入ると日本のスーパーとほとんど同じものが売られている。出前一丁、ウーロン茶、出汁などはもちろんのこと、うまい棒みたいななんてことない駄菓子も。

中にいるのは日本人ばかりということもなく、フランス人のおばさんや、アラブ圏の移民らしき人たちもいた。

 

(余談だけれど、店内でミュージックビデオを撮影しているらしき人たちがいて、ひとりが歌いながら店内をぐるぐる回り、もうひとりが小型カメラを手にそれを追っていた)

 

日本にいたときよりも、いっそうすました顔でならんだ商品たちは、やはり少し高いのだけれど、想像していたよりも高すぎるということもなかった。たとえば、カップラーメンは500円くらいだと想像していたけれど、実は250円くらいで買える(ものもある)し、件のうまい棒も150円くらい。あ、うまい棒は高いか。

 

もしかしていつか、ここに入り浸ることになるのかなと思いながら、店を後にする。
荷物が多かったので、その日はほとんど何も買うことができなかった。

たったひとつ、今飲んでいる味のうすい緑茶をのぞいて。

NESTEAの空きペットボトルに入った緑茶は、少しだけ紅茶みたいな顔をしていた。

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